揺れ

日本中が、揺れている。
あの日から、あの瞬間から。

地を割き。
家を崩し。

そして、大波は大地をさらった。
路地を、建物を、命を。

跡に残ったのは、
更地と、その上に積み重なる瓦礫、汚染された大気。

けれど。
その上にもやがて緑は必ず来る。



3/11(金)、午後3時前。
諏訪にて。
あるスーパーのバックヤードにて問屋担当者を交えつつ、
店舗担当者と商談。
「あ、地震?」と店舗担当者が囁いた直後、
大きく横に揺れだした。
暫くしても揺れは収まらない。
店頭に出てみる。
商品は崩れていないが、長い間、横揺れが続いた。
直感的に、直下型ではないと思ったが、
少し不安だった。
携帯で地震情報を確認すると、東北で大きな地震との事。

帰社途中、ラジオは緊迫感溢れる地震情報が流れ続けた。
首都圏にも被害が及び、自社の機能もマヒ。
翌日の納品は不能となった。
咄嗟に仙台に移った少年家族が思い浮かんだ。
帰宅後、長男もしきりに気にしていたので、
迷惑かも知れないと思ったがメールを送った。

3/12(土)。
午前4時前、またも大きな揺れ。
震源地は長野県北部。
長男の野球チームの練習は中止となった。
自社工場もそのまま生産が止まっている。
仙台の少年家族から返信が来た。
ご家族はご無事な様子。
とりあえずホッとした。
夕方に出社。
本来ならこの日に納品されるはずの商品、月曜納品の手続きを取る。

3/13(日)。
長男を中野に送る前から、いくつかの得意先より問い合わせの電話。
その問い合わせに答えようにも社内の情報が錯綜している。
何度か上司や得意先と連絡を続けた。
ある得意先の苛立ちも受けたが、どうしようもない。
時が経つにつれて、各地の被害の大きさが伝えられる
自家用車のガソリンが減っていたので、
夕方にGSに行ったが。
営業していない店が多い。
営業していてもレギュラーは売り切れだとか、
20L制限だとか。

3/14(月)
部長が節電を決めた。
「直接的な援助にならなくても、ちょっとでも節約する事で。」
僕自身も営業中の急発進、急加速、急ブレーキは避けて、エコ走行を心掛けた。
東北方面の社員の無事が伝わる。
が、きっと中にはご親族が…。
徐々に生産再開の情報が来る。
が、計画停電。
受注機能もマヒ。
帰宅途中に所用があって、近所の知人の事務所に寄る。
長野市内、小規模小売店でさえ、電池が欠乏していると言う。
買い占めている人がいるらしい。
知人が憤っていた。
「自分さえ良ければいいのか!?」

3/15(火)
出荷されているはずの商品が欠品。
前日の受注マヒや配送デポのマヒによる。
店舗を回った。
カップ麺のコーナーががら空き。
米もミネラルウォーターもレトルトも。
店の従業員が飽きれていた。
夜10時半頃。
また揺れた。
今度は静岡で震度6強の地震。


揺れている。  


Posted by zuky. at 2011年03月15日23:16