22日、次男の手術前日。
彼は長野市民病院に入院。
次男の頭部には生まれつき脂腺母斑があって、
当時の産婦人科医からも「悪性に変性するといけないから、ある程度の歳になったら切除した方がいい」と言われていた。
で、漸く今回の切除手術(現状での診断は彼に限らずということらしいが、「皮膚腫瘍」)となった。
その形成外科手術は、
腫瘍を切除した後にその部位の周辺の頭皮を引っ張り合わせて縫合する、
というものだけれど、
縫合するためには頭皮を伸ばさなければならないので、
腫瘍のあった周囲の頭皮の内側をぐるっと何センチづつか曳き剥がなければならないらしい。
何とも「痛ェーッ」ってな形成手術。
そんな手術の麻酔科の準備したパンフレットには、
子供の場合は小さな手術(例えばカッターとかでちょっと深く切っちゃったのを縫うとか?)以外は基本的には全身麻酔、
みたいなことが記されていた。
理由としては、局部麻酔だと術中の子供にストレスが、ってこと(そりゃそうだろうなぁ)。
当然、次男も例に漏れず今回の術には全身麻酔が施されることになった。
手術前日に入院するのは、心身を整えて、ってことだな。
その日、仕事を終えて帰宅後、長男と娘を引き連れて病院へ次男の見舞いに。
(長男は珍しく「塾で宿題も片づけてきた!」と)
病室探すのに手間取っちゃったよ。
461、462…って行ったのに、カミさんから連絡のあった466が途切れて無いじゃん。
仕方なくナースセンター(違う表現だった気がする)を尋ねたら、
そのすぐ隣りのセンター続き(つまり、直ぐに駆けつけることのできる場所)の、ご老人2人との相部屋の病室だった。
きっと、8歳児ということで病院側が気を遣ったのだろう。
もちろん、カミさんが付き添いで泊まったのだけれど。
23日、手術当日。
普段は元気でひょうきん者で、何事もあまり気にしないタイプの次男が無口になりつつあった。
「キンチョーしてんのか?」と敢えて訊いたら、
低い調子で「うむ」と返ってきた。
因みに前日21時以降の飲食は禁じられ、
当日の10時30分からは点滴。
この点滴、黒く日焼けした肌や栄養の行き届いた腕に血管が解り辛てく、
看護師さんがかなり苦労して血管を探り、
針を刺した後も少し手こずっていたにも関わらず、
次男は苦痛を見せることが全くなかったのだけど。
そして、12時30分。
歩いて手術室へ。
看護師さんに導かれて、
彼は点滴のスタンドをカラカラ引きずりながら、
こちらを一度振り返りつつ手術センターのドアを潜っていった。
徐々にドアが閉まっていくその向こうで、
「これからどうしたらいいの?」といった風に看護師さんを見上げる次男の横顔が目に映った。
で。
浅はかな僕ら夫婦の想像では。
手術センターのドアの上に「手術中」みたいなランプがあって点いたり消えたりするんだろうと思っていたが。
そういう類いのものはなく。
いやたぶん、センターの中にいくつか手術室があって、
きっとそれぞれの手術室の所には“そんなランプ”があるのかも知れないけれど。
ともかくセンター入り口には“そんなランプ”はなく。
しかも看護師さんからは「一度、病室か(病室と同階の)ラウンジにお戻り下さい、終わりましたらお呼びします」と言われてしまった。
浅はかな僕ら夫婦の想像では、
『手術室の外の椅子とかで苛立ちを隠しながらジリジリと「手術中」のランプが消えるのを待つ』
みたいなシチュエーションだったのに…。
ま、術的にはそんなに難しい方の手術ではないはずだし、
(敢えて言うなら、時折耳にする“全身麻酔の弊害”の方が心配だった)
ジリジリするまでもないので、
看護師さんに向かって、
「あ、それならレストランか喫茶室で食事してきてもいいですか?」
なんて尋ねたら、
「え!?あ、はい、でもなるべく早めに済ませて下さい…」と、若干うろたえながらの返答。
ハハハ。家族、しかも我が子の手術中に食事するなんてウチくらいなもんなんだろな…。
喫茶室で食事を済ませて病室に戻り、14時20分頃。
看護師さんがにこやかに「無事に終わりましたので手術センターの方へどうぞ」と呼びに来た。
「まだ完全には覚めていなくて、目を開けたり閉じたりしてとろとろしていますが」
との話を聞きながら手術センターへ。
今度は手術センター内への立ち入りが許された(“そんなランプ”の存在の確認はできなかったよ…)。
酸素マスクの掛かった当の本人は確かにまだ覚醒しきっていない様子。
執刀医から簡単な説明があって、出血も少なく何の問題もなかった旨。
そして彼は(当たり前だけど)ベッドに寝かされたまま病室へ。
お~、手術後の患者のベッドと共に家族が病室へと移動するのは想像通りだぁ。
で、病室に着いても次男は目を覚ましたり眠ったりの繰り返し。
時折、「暑い」と言っては体を動かしていたが、そういう酸素マスク姿の顔には汗が浮かんでいた。
僕は暫くして、一度帰宅。
学校から帰ってきた長男と娘を連れて再び病院へ。
カミさんによると、次男は麻酔が切れたとともに痛みを訴えてきたとのこと。
ほんの少しだけシクシクしたらしいが、それ以上にグズルことはなく、
僕らが着いた時にはじっとベッドに横たわって痛みを堪えていた。
点滴に鎮痛剤が加えられて、カミさんは義母の介護の為に一端帰宅。
その間に夕食が出たのだけれど、
“食べるの大好き”な彼もさすがにこの夜は食事をとるほどの元気までは取り戻せなかった。
でも。
彼はやっぱり、辛抱したなぁ。
ムリすることもないのに、
我慢したなぁ。
24日、次男の状態が良いとのことで退院。
上司に断わって病院へ。
「もうっ!この子は先生や看護師さんが来ても何にも言わないんだよ!」とカミさん。
確かに憮然とした表情というか何というか。
まさか!麻酔の影響かなんかで口喋れなくなったんじゃないよなぁ?
てなことがあるはずはなく、
病室のテレビで通販番組を見て「餃子が喰いたい」と言い出したりして。
さて。
僕は次男の頭にはてっきり包帯とかあるいはネットとかしているかと思っていたら、
あるいは少なくとも大きなガーゼなり絆創膏なりで傷口を覆っているかと思っていたら、
頭は何も覆われておらず、
広い範囲で消毒液を塗られているだけ(厳密には傷口に細くガーゼが縫いこませてある)。
おそらく今はしっかり滅菌、消毒さえできれば、
なるべく早くに傷口を乾かすためにも極力傷口は覆わないということなのだろう。
ま、お蔭で傷口を見ることができたのだけど。
今まで大きく無毛であった場所が一直線の縫合跡だけになっていた。
そして家まで一緒に戻り、僕は再び会社に。
仕事を終えて帰宅すると、
やはりこの日から解禁となったQ太朗(幼犬)の散歩に行きたい、
との次男の要望に応えて、すっかり陽の落ちた公園を散歩。
知らない人が見れば、
この子がつい前日、全身麻酔で頭部にメスを入れた、みたいには見えないだろうなぁ。
病研に回された腫瘍が良性であることを願いつつ。
あ、えっとQ太朗。
もっと嬉しそうに外に出るかと思ったら、
近所の公園にさえ進んで行きたがらない。
これではダイスケに遊んでもらえないゾ。
マッタク…。