このところ温かい。
例年の最低気温は10℃を下回っているのに、
ここ数日はその10℃をはるかに上回っている。
リビアではカダフィが死んだ。
独裁政権の終焉は圧政に苦しめられたリビア国民をはじめ、
多くの人々を安堵させた。
けれどこの先に。
復興の名を騙った利権主義者もさぞかし群がるのだろう。
行く先に更なる貧富が生まれない事を願いつつ。
ところで。
その独裁は40年余り続いたということだけれど、
つまりはカダフィは20代くらいの頃から国家の実権を握ったということになる。
かなり不謹慎かも知れない個人的感想なのだけど。
その頃のカダフィに会ってみたかった気もする。
中米の革命家と中東の革命家。
最後があまりに違い過ぎる。
(フィデルはまだ亡くなっていないので、“最期”とは記せない)
10/22(土)
練習試合組と練習組に分かれる。
試合組は市営で長野東と対戦。
んで、長男は練習組だったので、
僕は市営には試合前早くに顔を出しただけで帰宅。
たまには娘や次男の相手もしてやんなきゃなんないし。
しかし、この時の準備時間中。
グランドにいたのは2年生保護者数人に1年生保護者はAさんとKさん(この両氏は役員)。
この状況はまずいよなぁ。
この場は手伝っていくべきだったと反省。
(実際にFさんは息子さんが練習組だったにも関わらず、BGから審判に向かったらしい)
そんな土曜の夜はチームスタッフと保護者だけの祝勝会。
ナゼか権堂は「やひろ丸」で。
料理も多め(当然、飲み放題)だったし、会費4000円はリーズナブルな感じがした。
ま、敢えて記すなら最初の1時間内で次から次と料理が出て来たので、
「お~い、あとの1時間半はどうするんだよ~」という意見も少なからずあったのだけど。
んで、時間が来てOさんの車で地元に帰った方が多く(もっとも地元で呑み直したらしい)、
権堂に残ったのは監督などのチームスタッフと理事長と保護者会長夫妻、とTa氏。
と、長野組3名。
ノリがイイゼ!Taさん!
最初はチームスタッフと役員と長野組の3つに分かれてしまい、
暫く権堂を彷徨った長野組は役員組に合流。
理事長の通い慣れた店で1人数曲づつ。

Tuさんの甘く透き通った歌声にはシビレタ。
Kさんの可憐な歌声も良かったなぁ。
理事長の「L・O・V・E、I love ・・・」。
sioさんの「いやぁ~、やぁ、やぁ♪」いやぁ~…。
ついでにボクは“Johnny”の称号を賜りました。
(マリーンズの黒木?)
10/23(日)
練習試合、2年生は小布施Gで小布施及び長野北戦。
1年生は高山Gで高山と2戦。
長男は2戦目に二番左翼、5打席無安打2死四球1三振1盗塁、1犠打失敗。
甘過ぎる。
三振の最後の空振りは落ちる球(無回転球だったらしい)のでそれは仕方ないが、
その前の空振りがいけない。
守備も見様によっては無難ではあったけれど、
二死二塁の左前安打の送球は迷っちゃいけない。
なんて…。
息子を言うよか、自分の一塁塁審。
高山さんから指摘を受けた。
一個は「もっと内側(二塁寄り)からジャッジした方がいい」というもの。
これについては、実は敢えてそうしていた部分(守備側のベースタッチをしっかり見てみたい)もあるので仕方ない。
もう一個は「アウトのジャッジが早い」。
自分の感覚では2呼吸分空けてジャッジしたつもりだったけれど、
やっぱり、打者走者が塁を駆け抜けてから、と言われた。
さてさて、それ以外のご指摘。
チームの保護者から。
「走り方がオモシロイ!上半身が動いてないよ!」
この時は照れ臭くて、傷付いたようなフリをしたけれど。
実はカンペキだった気がする。
本格的な野球経験が無いクセに、
中学校時代に自分なりの飛球の追い方を追求したらこうなった。
当時の普通の短距離の走り方だと身体の上下動が激しく、
そのフォームで飛球を追うと視線がかなりぶれる。
かと言ってそろりそろりと走っていたら打球には追い着かない。
いかに視線をぶらさずに速く走るか。
それを自分なりに考えた走りのフォームが身についていたらしい。
吹奏楽部員だったのにねぇ…。